27ヶ月遅れの…
先日、水道管の不具合で家(のクローゼット)が水浸しになると云う大惨事に見舞われたひろの実家。
壁紙や床の張り替えを余儀なくされ、リフォーム前後に色んなものの整理をしたらしい母。
27ヶ月前に、ひろ宛てに荷物が届きました。
正方形に近い、小さなダンボール。
送り主は、前の職場の女性の上司。
その頃のひろは、交通事故後の会社の対応に酷い鬱状態でした。
肋骨・胸骨の骨折で医師からの診断書も出ているのに、「そろそろ出勤出来そうですか」「授業だけでもいいんですよ」と課長代理クラスからメールが来る毎日。
携帯が鳴る度、メールを受信する度、「会社」が恐怖の対象に変わるのはすぐでした。
独り暮らしで療養中に精神状態のおかしくなったひろを、母は無理矢理大阪に連れ戻しました。
仕事に関係するものを、見るのも聞くのも厭だった。
そんな或る日、届けられたダンボール。
仲の良い同僚からのメールで、その中身がひろの生徒がひろ宛てに作ってくれたと云う千羽鶴だと云うことは知っていました。
けれど、どうしても、どうしても、当時のひろには箱をあけることが出来ませんでした。
大好きな生徒のことを考えるのが辛かった。
その頃のひろには、もうその会社に復職する気力がなかったからです。
これからひろは大事な生徒を捨てるのだと解っていました。
辛いことしかなかった毎日を支えてくれた可愛い教え子たち。
あの子たちがひろを慕って頼って、大好きだと伝えてくれることだけが、働き続ける意味でした。
事故に遭った一週間後、副塾長の真似事をしていた校舎の、一番愛していた生徒たちから寄せ書きが届きました。
寂しい、早く帰って来て、先生大好き、、、読めば読むほど、心が痛くなって涙が止まりませんでした。
その後緩やかに鬱に堕ちて…上司たちは知っていました。
ひろが、子どもたちを支えにしていたことを総て。
利用出来るものは心でも何でも利用する、そんな会社でした。
或る日実家に届けられたダンボールは、純粋な子どもたちの想いと、ずるい大人のやり口のあらわれでした。
勇気がなかった。
あけたら、色んなものに苛まれて、自分は壊れてしまう。
一番酷い時期を知っていた家族は、ひろの部屋の片隅にいつまでも鎮座する未開封のダンボールについて何も云いませんでした。
水浸しになったダンボールは、27ヶ月後にあけられました。
綺麗な、綺麗な、心のこもった千羽鶴が収まっていました。
同封されていたと云う、元上司の手紙は母の手でびりびりに破かれていました。
「ひろごめんねえ、あけてしもたわ」
でも、と母は云いました。
「この鶴はよう捨てへんかったわ。こんなにひとつひとつ綺麗に折って色も綺麗に繋げて…ほんまにいい子らやってんねえ」
この鶴は、生徒が特定の教師にしか懐かないから新人…特に女性教師は嫌われると有名な校舎の子たちが贈ってくれたものです。
あの頃のひろは、生徒に異様に好かれました。
授業で直接教えていない子たちも、列を作って質問に来ました。
その校舎には週に1度しか行けないのに、名前を知らない生徒はいなかった。
あの頃、何時も本気で、何時もギリギリで、何時も生徒のことしか考えていませんでした。
その、ひろの本気に、本気で応えてくれたあの子たち。
今でも心が痛みます。ごめんね。ごめんねって云いたかった。
もっともっと、伝えたいことがあった。数学よりも、もっと語りたいことがこんなにも。
ひろはこんなに綺麗なものを貰えるような教師ではなかった。
裏切って、捨てて、逃げて、本当にごめん。
それでも、あの時の本気に嘘はなかった。大好きだった。
今でもみんなの顔も名前も全部覚えています。
みんなの人生に少しでもかかわれたこと、今でも誇りに思っているよ。
素敵な人生を。素敵な大人に。
壁紙や床の張り替えを余儀なくされ、リフォーム前後に色んなものの整理をしたらしい母。
27ヶ月前に、ひろ宛てに荷物が届きました。
正方形に近い、小さなダンボール。
送り主は、前の職場の女性の上司。
その頃のひろは、交通事故後の会社の対応に酷い鬱状態でした。
肋骨・胸骨の骨折で医師からの診断書も出ているのに、「そろそろ出勤出来そうですか」「授業だけでもいいんですよ」と課長代理クラスからメールが来る毎日。
携帯が鳴る度、メールを受信する度、「会社」が恐怖の対象に変わるのはすぐでした。
独り暮らしで療養中に精神状態のおかしくなったひろを、母は無理矢理大阪に連れ戻しました。
仕事に関係するものを、見るのも聞くのも厭だった。
そんな或る日、届けられたダンボール。
仲の良い同僚からのメールで、その中身がひろの生徒がひろ宛てに作ってくれたと云う千羽鶴だと云うことは知っていました。
けれど、どうしても、どうしても、当時のひろには箱をあけることが出来ませんでした。
大好きな生徒のことを考えるのが辛かった。
その頃のひろには、もうその会社に復職する気力がなかったからです。
これからひろは大事な生徒を捨てるのだと解っていました。
辛いことしかなかった毎日を支えてくれた可愛い教え子たち。
あの子たちがひろを慕って頼って、大好きだと伝えてくれることだけが、働き続ける意味でした。
事故に遭った一週間後、副塾長の真似事をしていた校舎の、一番愛していた生徒たちから寄せ書きが届きました。
寂しい、早く帰って来て、先生大好き、、、読めば読むほど、心が痛くなって涙が止まりませんでした。
その後緩やかに鬱に堕ちて…上司たちは知っていました。
ひろが、子どもたちを支えにしていたことを総て。
利用出来るものは心でも何でも利用する、そんな会社でした。
或る日実家に届けられたダンボールは、純粋な子どもたちの想いと、ずるい大人のやり口のあらわれでした。
勇気がなかった。
あけたら、色んなものに苛まれて、自分は壊れてしまう。
一番酷い時期を知っていた家族は、ひろの部屋の片隅にいつまでも鎮座する未開封のダンボールについて何も云いませんでした。
水浸しになったダンボールは、27ヶ月後にあけられました。
綺麗な、綺麗な、心のこもった千羽鶴が収まっていました。
同封されていたと云う、元上司の手紙は母の手でびりびりに破かれていました。
「ひろごめんねえ、あけてしもたわ」
でも、と母は云いました。
「この鶴はよう捨てへんかったわ。こんなにひとつひとつ綺麗に折って色も綺麗に繋げて…ほんまにいい子らやってんねえ」
この鶴は、生徒が特定の教師にしか懐かないから新人…特に女性教師は嫌われると有名な校舎の子たちが贈ってくれたものです。
あの頃のひろは、生徒に異様に好かれました。
授業で直接教えていない子たちも、列を作って質問に来ました。
その校舎には週に1度しか行けないのに、名前を知らない生徒はいなかった。
あの頃、何時も本気で、何時もギリギリで、何時も生徒のことしか考えていませんでした。
その、ひろの本気に、本気で応えてくれたあの子たち。
今でも心が痛みます。ごめんね。ごめんねって云いたかった。
もっともっと、伝えたいことがあった。数学よりも、もっと語りたいことがこんなにも。
ひろはこんなに綺麗なものを貰えるような教師ではなかった。
裏切って、捨てて、逃げて、本当にごめん。
それでも、あの時の本気に嘘はなかった。大好きだった。
今でもみんなの顔も名前も全部覚えています。
みんなの人生に少しでもかかわれたこと、今でも誇りに思っているよ。
素敵な人生を。素敵な大人に。
コメントを書く...
Comments