文化。
四十九日餅、って初めて知りました。
同じ大きさの四十九個の小さなまるいお餅を、お花みたいな形(中心に置いたひとつを六個でぐるりと囲む)に並べたものを、七段積み上げて。
一番上に、その七個分と同じ面積くらいある大きな一枚のまるいお餅を重ねてお供えするんです。
(本来は、四十九日までに毎日ひとつずつお供えするのが作法だそうで)
追善供養のお経と、御位牌を白木のものから黒塗りのものへと移すお経を上げた後に、一番大きなまるいお餅をお坊さんがさくさく切ってくれました。
切ったものを並べ替えたのがこれ。
普通に凄い!(笑)
これは、仏様がどのような格好でこの四十九日間、修行をして来たかをあらわすのだそう。
身体部分の肩口、小さな三角形に切ったところと、四十九個の小さなお餅をひとつちぎって、それは自然に還すそうです。
動物に食べて貰うか、屋根に放り投げて鳥に持って行って貰うか――。
そうやって、一度仏様にお供えしたものの一部を自然に還し、そのまた残りを私たちが戴く、と云う教えみたい。
このお餅、良くなりたい部位を食べると良いのだとか。
顔! 顔!(コラ)
それにしても、色んな風習や文化があるのだと改めて感じました。
学生の頃、ひろは主に文化を学んでいたけれど、あれって総て導入部分だったんだなあ…。
宗教の教えって云うのは突き詰めていくと、根底は「(何かに)気付くこと」「識ること」なんじゃないかなあって思った日。
どの風習が正しいとか間違っているとか、どの文化が秀でているとかいないとかそう云うことではなくて、色んな文化を知り、そこから気付かされることが大切なんだと。
御通夜・お葬式・満中陰と同じお坊さんにお経を上げて戴いて、今日は色々とお話もしました。
最後は「良く喋るお坊さんですみません(笑)」って云って去って行かれたけれど、お話出来て良かった。
ひろが無宗教なことも、別に関係ないのだと。
大切なのは、何時でも気持ち・心持ちなのだと云って戴いたように思います。
同じ大きさの四十九個の小さなまるいお餅を、お花みたいな形(中心に置いたひとつを六個でぐるりと囲む)に並べたものを、七段積み上げて。
一番上に、その七個分と同じ面積くらいある大きな一枚のまるいお餅を重ねてお供えするんです。
(本来は、四十九日までに毎日ひとつずつお供えするのが作法だそうで)
追善供養のお経と、御位牌を白木のものから黒塗りのものへと移すお経を上げた後に、一番大きなまるいお餅をお坊さんがさくさく切ってくれました。
切ったものを並べ替えたのがこれ。
普通に凄い!(笑)
これは、仏様がどのような格好でこの四十九日間、修行をして来たかをあらわすのだそう。
身体部分の肩口、小さな三角形に切ったところと、四十九個の小さなお餅をひとつちぎって、それは自然に還すそうです。
動物に食べて貰うか、屋根に放り投げて鳥に持って行って貰うか――。
そうやって、一度仏様にお供えしたものの一部を自然に還し、そのまた残りを私たちが戴く、と云う教えみたい。
このお餅、良くなりたい部位を食べると良いのだとか。
顔! 顔!(コラ)
それにしても、色んな風習や文化があるのだと改めて感じました。
学生の頃、ひろは主に文化を学んでいたけれど、あれって総て導入部分だったんだなあ…。
宗教の教えって云うのは突き詰めていくと、根底は「(何かに)気付くこと」「識ること」なんじゃないかなあって思った日。
どの風習が正しいとか間違っているとか、どの文化が秀でているとかいないとかそう云うことではなくて、色んな文化を知り、そこから気付かされることが大切なんだと。
御通夜・お葬式・満中陰と同じお坊さんにお経を上げて戴いて、今日は色々とお話もしました。
最後は「良く喋るお坊さんですみません(笑)」って云って去って行かれたけれど、お話出来て良かった。
ひろが無宗教なことも、別に関係ないのだと。
大切なのは、何時でも気持ち・心持ちなのだと云って戴いたように思います。
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